道央

北のウォール街 小樽

小樽は、世界の金融地区ニューヨークのウォール街をなぞり「北のウォール街」と呼ばれていました。小樽運河にかかる浅草橋から大きな通りの臨海線を渡り、緩やかな坂道を進むとやがて色内通りと交差します。道路の左右にレトロな石造りの建物が並んでいるこの通りが、小樽市指定の歴史的建造物に指定されている北のウォール街です。
大正時代末期には、銀行が札幌に10箇所、函館に16箇所あり、小樽は道内最大で20箇所ほどありました。今も日銀小樽支店、三井銀行、安田銀行、第一銀行、拓銀、道銀をはじめとする銀行建築を見ることができます。小樽は銀行だけでは無く、三井物産、カネタツ鈴木、三菱商事などの商社、日本郵船、大阪汽船、山下汽船などの商船会社が軒を連ね、北海道一の経済繁栄を誇っていました。


旧北海道拓殖銀行 小樽支店 1923年(大正12年)建設  現似鳥美術館



旧三菱銀行 小樽支店 1922年(大正11年)建設  現小樽運河ターミナル



旧第一銀行 小樽支店 1924年(大正13年)建設  現ミユキソーイング



旧日本銀行小樽支店 1912年(明治45年)建設  現日本銀行旧小樽支店金融資料館



旧日本銀行小樽支店 1912年(明治45年)建設  現日本銀行旧小樽支店金融資料館



旧安田銀行小樽支店 1930年(昭和5年)建設

アクセス
JR北海道小樽駅から徒歩約5~10分





北海製罐 小樽工場

北海製罐は、北洋での鮭・鱒漁業から始まり、カムチャッカへの缶の供給を原点として、大正10年に北海製罐倉庫株式会社として小樽に創立しました。以来、缶詰事業を中心に、小樽の街と、そして周辺設備に関わる多くの企業とともに発展を遂げてきました。小樽工場は、小樽の金属加工のルーツの一つとして挙げられ、小樽市の象徴的建物となり、小樽市内外の方々に親しまれています。現在は、食品用缶や飲料用缶などの金属容器のほか、PETボトルなどのプラスチック容器や美術缶、スプレー缶といった一般容器などさまざまな容器の製造を行っています。
北海製罐小樽工場の最大の見どころは、小樽運河完成の翌年1924(大正13)年に建設された北海製罐小樽工場第3倉庫です。北洋漁業が盛んだったカムチャツカ半島の水産物加工場向けに製造したサケ・マスの缶詰用の缶を保管する倉庫として建てられました。場所は小樽運河を造るために海を埋め立てた新しい土地で、建築地盤を補強するため、松の杭が地中深く何本も打ち込まれたことが最近発見された図面によってわかりました。構造は鉄筋コンクリート4階建てで、延べ床面積は7200平方メートルにもなります。黎明期の貴重な鉄筋コンクリート造りです。2012年には小樽市の歴史的建造物に指定されました。小樽運河の北側に位置する象徴的な建物として長らく市民に親しまれてきた同倉庫ですが、築後100年近くが経ち、老朽化による維持管理に沢山の費用がかかるため、保有する北海製罐株式会社は近く解体することを決めました。しかし、市民による様々な活動が実を結び小樽市は「倉庫は保存」の方向を決定しました。2021年12月、旧北海製罐第3倉庫は小樽市に無償譲渡されることとなったのです。古き良き街の歴史資産がどんどん消失している昨今、失うと二度と取り戻せない歴史的建造物や文化・景観を活かしながら、いかに街の活性に結びつけるかが問われています。


北海製罐小樽工場第3倉庫 1924年(大正13)建設



小樽運河と北海製罐小樽工場第3倉庫



運河の対岸にある北海製罐小樽工場



運河の対岸にある北海製罐小樽工場



北海製罐小樽工場 昭和10年建設

アクセス
JR北海道小樽駅から徒歩約20分





旧北炭清水沢火力発電所

旧北炭清水沢火力発電所は、1926(大正15)年に北炭の自家発電施設として完成しました。最大時で74,500キロワットもの出力を誇る国内でも有数の自家発電施設でした。しかし、石炭産業の斜陽化に伴い1992(平成4)年に閉鎖されました。すでに建物の4分の3ほどが解体されてしまいましたが、現在も残る施設の一部には発電設備などが残されているほか、当時の繁栄をうかがわせる設備が随所に残され、タイムスリップしたような不思議な感覚を感じることのできる施設です。現在は民間企業の作業用地として使用されていますが、施設の一部を予約制で一般公開しています。夕張の石炭産業を支えた炭鉱遺産のうちの一つです。



アクセス
JR北海道岩見沢駅からレンタカーで約1時間





シューパロ湖

シューパロ湖は、北海道夕張市にある人造湖です。石狩川水系の夕張川にあり、1962年に竣工した大夕張ダムによって形成され、2015年竣工の夕張シューパロダムによって水域が拡大しました。夕張シューパロダムによってできたシューパロ湖は、湛水面積1,400ヘクタールで雨竜第一ダムの朱鞠内湖に次いで日本第2位、総貯水容量427,000,000トンも徳山ダム(揖斐川)、奥只見ダム・田子倉ダム(只見川)に次いで日本第4位となり日本屈指の大人造湖です。



夕張シューパロダム建設後は、炭鉱街として栄えた大夕張地域(夕張市鹿島)の大部分が
水没した。水没した主な建造物としてはすでに旧シューパロ湖上にあった三弦橋や旧陸軍の
鉄道連隊が架橋器材として使用した重構桁を用いた橋梁、大夕張ダムの放水によって水力
発電を行っていた二股発電所などがある。旧シューパロ湖を形成した大夕張ダム自身も
夕張シューパロダムの貯砂ダムとして機能させるためにそのまま水没した。



水没した大夕張を偲ぶ碑



シューパロ湖の背後には美しい夕張岳がそびえる。



立ち枯れした樹木が美しい。







美しい夕張岳




アクセス
JR北海道岩見沢駅からレンタカーで約1時間




























































ガイドブックには載らないディープな北海道